2005-03-29 第162回国会 参議院 文教科学委員会 第5号
それで、あのころはもう受験戦争だ、受験地獄だ、あるいは偏差値偏重だとかいろいろありましたけれども、そういった中で本当に、今委員が御指摘のように、生きる力というもの、自分の頭で考えて判断して行動できる、そういうたくましい子供たちを育てようじゃないかということからこのゆとり教育がずっと言われてきたわけでございます。私は、そういう意味でのゆとり教育というものは、これは間違ってなかったと思うんです。
それで、あのころはもう受験戦争だ、受験地獄だ、あるいは偏差値偏重だとかいろいろありましたけれども、そういった中で本当に、今委員が御指摘のように、生きる力というもの、自分の頭で考えて判断して行動できる、そういうたくましい子供たちを育てようじゃないかということからこのゆとり教育がずっと言われてきたわけでございます。私は、そういう意味でのゆとり教育というものは、これは間違ってなかったと思うんです。
ですから、このゆとり教育が叫ばれたころのことを思い出してみますと、受験戦争とか受験地獄とか、あるいは偏差値偏重だとかいろんなことを言われまして、やっぱりそれじゃいけないんじゃないかという反省もあって、やっぱりゆとり教育といいますか、できるだけ教科内容は削減しながら、やっぱり基本的なものをしっかり覚え込ませて、そしてもっと自ら主体的に行動できる、そういう子供たちを育てていこうと。
すべての人がみずからの全面的発達を可能とするために有する学習権に基づき、この教育を受ける権利が、十分な教育を受けることを国家の積極的条件整備によって保障される国民の権利であることを踏まえ、「能力に応じて」と憲法に定めているのは、すべての子供が、その能力、発達の仕方に応じて、なるべく能力を発達できるような教育が提供されなければならないという意味であって、偏差値偏重や落ちこぼれ切り捨てを批判するのはこのような
アドミッションオフィスについては、その大学の中だけじゃなくて外部の人をわざわざ採用して制度を、丁寧にしっかりと時間を掛けて一人一人面接をして採用をしていくという方法を取っておりますから、こういうものがどんどん進んでくれば、単なる塾に行って学力テストだけ受ければ合格するということにはなっていかないぞというふうになっていくと、私は随分、教育現場というものも今の学力偏重、偏差値偏重を変えていこうというこの
この中高一貫教育の導入ということが目的のとおり、ゆとりある学校生活を保障する、そしてまた一人一人の個性や創造性を伸ばす、そのような結果がもたらされることを私も心から願っているわけでございますが、一方では、やはり偏差値偏重による教育というものも完全に解消されておりません。また学校閲の格差というものも存在している。
ただ、教育改革プログラム、拝見をしまして、若干の懸念が私の胸をよぎったわけなのですが、その懸念と申しますのは、これは少し前になりますけれども、一九九三年、つまり四年ぐらい前でしょうか、いわゆる偏差値偏重はいけない、点数だけで人間を見てはいけないということで、トータルな評価をということで、観点別評価ということが取りざたされた時期がございました。
大臣も、今までの初等中等の教育は、とりわけ画一的な偏差値偏重の、知育偏重の教育に流された嫌いがある、これからは人間性豊かな、創造性豊かな人づくりのために、創造性や人間性が育つような教育へシフトをしていかなければならない、そんな御答弁もあったわけであります。
そこで、やはり今大臣も申されましたように、この総合学科が高校改革の切り札だとか、偏差値偏重の教育を是正するための一つの効果的な方法だ、そういうような話もあるわけであります。そしてまた、個性の伸長や、生徒みずからが選択幅を広げた、そういうものをとらえられていくとか、新しいタイプの高校の一つでもあるという位置づけも話されました。さらに進路指導の問題についても触れられたわけであります。
○松沢委員 高校選抜制度の自由化というか多様化というか、そういう視点が大事だという御指摘だと思うのですが、先ほど取り上げさせていただきました偏差値偏重の今の高校入試、それの是正のために、鳩山文部大臣以降、文部省はさまざまなことをやってきたと思うのですけれども、まずこの偏差値偏向、偏差値の過度の偏向の是正について、文部省はこれまでどのような措置をとって、これを改革、是正してきたのか、この辺について伺いたいと
いわゆる偏差値偏重による受験競争の過熱化を緩和するために、また、我が国の教育が国際化、情報化、科学技術の革新といった変化により適切に対応し得るよう、いま一度教育上の課題を見直し、より魅力的な、そして心の通う教育を実現するために、教育改革を推し進めていかねばならないと存じます。 最近、児童生徒のいじめの問題が深刻になっております。まことに心が痛みます。
いわゆる偏差値偏重による受験競争の過熱化を緩和するために、また、我が国の教育が、国際化、情報化、科学技術の革新といった変化に、より適切に対応し得るよう、いま一度教育上の課題を見直し、より魅力的な、そして心の通う教育を実現するために教育改革を推し進めていかなければなりません。 最近、児童生徒のいじめの問題が深刻になっております。まことに心が痛みます。子供や青少年の問題はいわば社会の縮図であります。
この選抜の中での偏差値偏重主義といいますか、これについては、一昨年になりますか、埼玉県での業者テストの横行、これが発覚をして、当時の鳩山文部大臣が、中学校現場から業者テストは追放していこう、そしてさらに、偏差値に過度に依存した進路指導というのは改めていこうという文部省の事務次官通達を出して、文部省は今その方向で指導をしているというふうに聞いています。
偏差値偏重教育、学歴社会の弊害というようなことを直していきますのには、学校だけではなくて企業とか家庭とがそれぞれの立場で意識改革をしていく必要があると考えておりまして、各方面の御協力をいただいてできるだけ早くそのような風潮を直していきたいと考えております。
けれども、そこからずっと今の本当に息詰まってしまうような、そういう学校間格差だとか、輪切りあるいは偏差値偏重の教育というのが進んでいったこの二十年だというふうに思うのですね。
確かに子供たちの高校時代というのは二度とないわけで、中学時代というのは二度とないわけですから、急いでそういう学歴社会を、あるいは偏差値偏重の教育を解消をしていかなければならぬと思います。
ここにも書いてありますように、学歴社会の弊害をなくする、あるいは偏差値偏重の教育をなくするという意味で、この高校が大きな役割を果たすということに本当になり得るのかどうか。例えば今局長が各学科が競い合うような形でとおっしゃいました。そうすると、二本が三本になるだけというイメージが強くなってくるわけです。そういうことでは、報告で言っているようなことにはならないだろうというふうに思うのですね。
午前中、業者テストの問題なんかもありまして、今学校ではいろんな問題点があるなということで、私も業者テストについて聞かせていただきたいと思っていたんですが、同僚議員から聞いていただきましたので省かせていただきますが、やっぱり学力偏重といいましょうか偏差値偏重というのは学校の中の先生方の意識の中にもあるわけでございます。
たしかに偏差値偏重教育がもたらした弊害は、指摘の通りだと思います。しかし、その原因は、わが国の学歴偏重社会によるものではないでしょうか。この様な土壌が、受験戦争を生み、その結果、わが国の教育に、過度の偏差値崇拝主義に陥ったと言っても過言ではないと思う。
ですから、文部省といたしましては、文部省自身のできる限りのことをやっていきますわけでございますが、偏差値偏重教育とか偏差値信仰の是正のためにできる限りのことを一生懸命やってまいりますけれども、社会全体の御協力もいただかなければならない。
いわばこれは猫の首に鈴をつけに行くのはだれかということで、私、あえて偏差値偏重社会という、この猫の首に今鈴をつけようと思って、私、ネズミ年でございますから、今走り寄っていっているわけで、猫に食われないように諸先生方にも御支援を賜りたいと思っております。
学歴偏重社会とか、偏差値偏重社会とか、これを完全に壊すというのは大変難しいことだと思います。日本はこの学歴偏重や偏差値偏重の風潮が非常に強い。それはいわば個性を無視して一本の物差しにみんな人間を並べてしまおうということでございます。
「学校教育における偏差値偏重、受験競争の激化、その前提となる高校間「格差」、大学の「序列」は、今日、日本の教育のいかなる問題にも顔をのぞかせる最大の病理である。」こういうふうに位置づけているわけであります。
受けなさいということと行きなさいということが実は連動しているケースが多いということを聞いて、私はやや、本当に遅かったんですが、これほどひどいものとは思わなかったというふうに自己批判もし国民に謝りつつ、このことをアリの一穴としながらも、大きな偏差値偏重社会、学歴偏重社会に挑戦することをもししないならば教育改革は一歩も歩むことができないだろうという認識で今仕事を最後の数日させていただいているところでございます
しかし、この学歴社会、偏差値偏重社会に一矢を報いて個性を尊重する、もっと国民が幸せになる世の中をつくるための教育改革であると考えるならば、ここで相撲で言えば回しというのか何か取っかかりになる一つのチャンスが来ているというふうに私は考えます。
学歴偏重という中から受験があり、偏差値偏重社会が生まれたということでもありましょうが、いずれにいたしましても、こういう大きな問題を解決していくための最初はアリの一穴ではないかという思いもありますが、思い切ってやっていきたいと考えております。
それが偏差値偏重、学歴偏重という社会を生んでいるかもしれません。 先般、数日前に美容芸術短期大学というところの開学式に参りました。雰囲気も一風変わっておりますが、しかし美容芸術短大ですから、偏差値でほかと比較することは可能かもしれませんが、でもこれは美容芸術の大学ですから、それは先ほどからお話が出ている教育学部だとか経済学部だとかあるいは理工学部というものと同じ物差してはよしあしを比較できない。
共通一次試験がアラカルト方式も採用していいですよということで大学入試センター試験になって、そして私学の利用もふえてきているのも確かでございますのでも、じゃ未来永劫このセンター試験はこのままでいいかといえば、私は決してそうは思わないわけでございまして、まあ分離分割だ、AB日程だ、連続方式だ、分離分割だといろいろな工夫をやって、国立大学の間でも努力はしてきているわけでございましょうけれども、まだまだ偏差値偏重